『揉め事』以上『裁判』未満

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私が小学生の頃(昭和40年代)には、町内会の会長さんと言えば“怖いオジサン”で、私たちの親の世代よりも少し年長の方が務めていました。

隣近所で些細な揉め事があれば、当事者たちの間に入って話を聞き、双方が納得できる解決策を導き出してくれていたのではないでしょうか。

また、揉め事の当事者たちも(時に激しい言葉のやり取りがあったとしても)第三者が仲裁に入るまでもなく、当人同士で“落とし所”を見つけ、後は何事も無かったように元の関係に戻っていたように思います。

 

その後、個人と社会との関係は変化し、現在では『他人様のことに巻き込まれたくないし、自分の生活に干渉されたくない』と思うのは“フツー”のことです。

いつの間にか私たちは“大切な能力”を退化させてしまい、他人同士の揉め事の仲裁どころか、自分自身に降りかかったトラブルの種を取り除くことも苦手です。

他人との揉め事よりもある意味で厄介なのが親族間の揉め事です。

特に財産の相続などは身内で揉める典型的な例でしょう。

法律上、モノの分け方は平等なのに、親の介護やお墓の維持の問題については曖昧です。

以前、葬儀屋さんに聞いたお話では、葬儀終了後、誰が遺骨を持ち帰るか(誰も持ち帰りたくない!)で親族がひと悶着することもあるそうです。

戦前の家長制度が現在の制度よりも優れているとは言いませんが、全否定するものでもないでしょう。

 

身内の問題、隣近所の問題で、“フツー”の人々が裁判所に行く時代になりました。

人の世に紛争が無くなることは考えられません。

でもそれらの揉め事は本当に“揉め事”なのでしょうか。

単に自分の気持ちを相手に上手く伝えられないだけであったり、自分自身の価値観や判断基準が曖昧なためにどうしていいか判らないだけ、ということはありませんか。

勿論、専門家の助力が必要であったり、実際に裁判で争うことが適切な場面もあるでしょうが、自分の気持ちを整理しながら相手の背負っている歴史や心情を推し量り、常識に沿った解決策を導きだす行為は、今の時代に特に必要であると思います。

無用な時間や費用を掛けずに、些細なことが大きなトラブルに発展してしまう事態を避け、平穏な人間関係を保つためのお役に立ちたいと願っています。

ご覧いただきまして、ありがとうございます!

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